おじいちゃんの歌

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前に貼った写真と同じ場所だけど時期は違う晩秋の空。
秋の空が青いとさすがに沁み入るものがある。


ひそかにまたブログ毎日更新しようと思ってたんですが、毎日どころか一ヵ月まるっと書いていなかったよ。
11月のわたしが何をしていたのかといえば、毎度のごとく体調がよくなかったり、母方の祖父を見守ったり、見送ったりしていました。

祖父の具合が悪いことは聞いていたんですが、先月突然「今日明日」という連絡がきて、そこまでだったのかとちょっと愕然となった。
とりあず「今日明日」の峠は越したものの、「あと二時間くらいで…」というのが、かれこれ、十回…はなかっただろうけど、五回くらいはあって、最後は「まあ今回も大丈夫だろう」と思って一旦家に戻ったところで、明け方に「亡くなりました」と母から連絡がきていた。
徹夜明けで爆睡していて朝になるまで気づかなかったよ。

入院中、延命処置はしないという話だったはずが、担当医がちょっとアレな人で(毎回毎回アレな医者によく当たるというか、医者にはアレな人が多すぎるというのか)、「それは殺人ということだ」と主張して、家族が病室を離れている間に勝手に延命処置を初めてしまったらしい。な、なんだそれ?
酸素マスクがついてたり、注射とか点滴とかされてるので「おや?」と思ったんですが。
医者に話が違うじゃないか、と言ったところ、「じゃあ外せばいいんでしょう」と酸素マスクを外そうとしたのを、慌てて母と叔母で止めたという話を聞いて、私はその場にいなかったのに、ものすごく疲弊してしまった。
最終的に、医者は「勝手にしろ」といって、病室に来なくなったみたいですね。ハハハ。
どうなってんだ○○区の××病院。今年できたばっかりの病院で医師と看護師の意思疎通もままならないらしいぞ気をつけろ。

なとどいうことがありつつ、多分まあ、だからどうこうということもなく、祖父は寿命をまっとうしたのではないかなとは思います。
苦しいのがずいぶん長く続いてしまったね、とは思うけど、そのあたりは孫の立場ではどうこう言えるものでもなく。
73歳というのが早いのか充分なのかもよくわからない。父が亡くなったのが62歳だったので、それにくらべれば長生きしたんじゃないかなと思ったけど、祖母の方がずいぶん年上なんだよなあ。

7年前に亡くなった父が62歳で、先月亡くなった祖父が73歳というあたりでわかると思いますが、わたしは祖父の方と血が繋がっておりません。
というのを、わたしは専門学校に通うために祖父母の家に下宿するようになって(つまり成人近くなって)初めて知ったのだった。
周りのおうちと比べてうちの「おじいちゃん」はずいぶん若いなとは思ってたはいたんですが(父方の祖父はわたしが産まれる前に亡くなっているので会ったことがない)、母も結婚が早く周りと比べればずいぶん若かったのでそんなもんだと思っていたし、何しろ「おじいちゃん」と呼んでいる以上は自分にとって「おじいちゃん」でしかなく、疑ったこともなかった。
「おじいちゃん」が「おじいちゃん」になるまでにいろいろあったことも、周りが何も言わなかったので、全然知らずに大きくなってしまった。

おじいちゃんはわたしには多分いいおじいちゃんで、ただ、思い返すとおかしいことがいっぱいあったなあ、と今しみじみしている。
子供の頃の夏休みや年末年始はずっと祖父母の家で過ごして、両親からお年玉をもらったことも一度もなかった、とか。
てっきり両親にとって「子供が邪魔だから」祖父母の家に預けられてるんだと思っていたんですが、別にそういうわけでもなかったと、最近、本当にここ数年のうちに、初めて聞いた。
本当のところは、いい歳になった今もよくわからないままで、いい歳なので今さら何をどうこうっていうこともなく、でもたまに、どうしてうちはそんなふうだったんだろうなと思う時もある。


ここ数年父母とは疎遠になっていたんだけど、ひさびさにおじいちゃんに会って、意識はほとんどないはずなのに、周りが「奈穂が来たよ」と言うと、わたしの手をぎゅっと握って、にっこり笑って、しばらくその手を離さずにいた…とかね。とかね。あるんだね、本当にね…。
もう少しは会いに行けばよかったな、とか。
でも距離をおけば大丈夫でも、会ったら会ったでうまくいかないことは父との時にも証明されてるじゃないとか。

心は千々に乱れるばかりで、落ち着くために読書などに励んだりもしてみたんですが、うっかり氷室冴子さんの「冴子の東京物語」を読み直してしまってですね。

冴子の東京物語 (集英社文庫)

冴子の東京物語 (集英社文庫)

久しぶりだから失念していたけど、「記憶」という章がありまして。
母親との確執(というほど大袈裟なものではないけど)があって、来た電話を無視していたら、可愛がってくれていた叔父の死を知らせるためのものだったという。

誰しも、亡くなった人に一番愛されていたのは自分だと思うものだ、そういうものなのだと言い聞かせても、それでもやはり、私が一番可愛がられていたと思う。

うちは、どうだったのかな。
わかんないままです。


お葬式の時、みんなより先に会場に着いてしまって、わたしとおじいちゃんだけで二人きりになる時間がちょっとあったので、冷たい顔をぺたぺた触って、「お疲れ様、またね」とだけ伝えておきました。
酸素マスクをつけたせいで鼻の頭についた痣とくぼみが痛々しかった。
危篤なのに力は残っていて、すぐ点滴や尿管を外そうとしてしまうから、ベッドに体を括りつけられていた、とか。
お別れに際して、自分が割合平静だなと思っていても、たまに「あー」って変な声を出して天を仰いでしまうことがある。

秋の空が青いですね。
今日曇っているけど。
お見送りはすんだしわたし自身は元気です。謎の筋肉痛に見舞われていますが…。


(こういう話題で毎度書いていますが、返信するのがむずかしいのでお悔やみのメッセージ等は本当に一切なくて大丈夫ですというか、ない方がありがたいので、なにとぞよろしくお願いします)

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