渡海奈穂の近況報告の歌

小説家・渡海奈穂の買った本とか日常のどうでもいい感じの記録、たまに宣伝。

いわゆる「学級会」というものがとても苦手なんだけど

同人活動(というか活動をしている人がやっているSNS)でいうところの「学級会」の話。
先に書いておきますが特に何を啓発したいというわけでもない単なる日記です。つらつらと長い。

学級会と最初に評した人はうまいこと言うなあと思った記憶がある。小学生の頃の学級会で、「○○君が××さんをいじめていました、いけないと思います!」というのと同じレベルの盛り上がりで、大抵は放っておけばいいような個人的な話題*1を「みんながこうだから」「普通はこうだから」「いけないと思います!」ってやり玉にあげる。

つまらないことを言ってくる人もいちいちそれに反応する人もどうかと思うんですが、わたしが今「反応しなけりゃいいのに」と思うのはかつて自分自身嫌な目に遭って、結果「反応しない方が実害が少ない」ということに気づいたからで、初めてクソリプ(とあえて言う)やらメッセージを受け取った人は、まあわけがわかんなくて反応しちゃうもんだよなあとも思います。
常に初めて変なことを言われてどうしたらいいのかわからない人が現れて学級会が勃発したり、注目されるために意図的に学級会を起こす人もいっぱいいて、Twitter上はいつも誰かが何かしらの議題について語っている場所というイメージになった…。

わたしは揉めている場が苦手なので、学級会を起こしがちな人をミュートしたりリムーブしたりして自衛してるんですが、そうすると交流ってできないんだな。と悟った。
交流に積極的な人って学級会に参加したがる傾向がありますよね、あたりまえといったらあたりまえなんだけど。
だから学級会ってなくならないんだなあ。しかも一回学級会に触れた人、特に少しでもその議題に自分が関わったことがある人って、その議題だけではなく他の議題についてもひたすらRTしては文句を言うようになり、わたしはどうも強い口調の呟きが苦手なのでリムーブが捗り、そしてわたしの村から交流という文化が消えた。

交流好きな人はそもそも人の意見を聞いたり持論を展開するのが好きだから、前のめりに学級会に参加するタイプが多い。
そうじゃない人は自分から他の人に絡んでいくこともほとんどなく、TLが壁打ちのみ、自分の好きなことをただただ呟くだけの場になっていって、

とても居心地がいいです…。

だから自分でもそういう学級会的なことの流れに口を出すことは普段ほとんどないんだけど、ここのところ「黙っているから声の大きい方が勝つのだ」という話題がたびたび友達との間であがり、そうなんだよなあとしみじみ思っていたこともあって、今日はちょっと思ったことをTwitterで呟いたりしてみた。
ちょうどいろいろ考えていたところだったので。

わたしは同人歴はもうだいぶん長いんだけど、ずっとひとりぼっちで活動してます。主に創作ジャンルでイベントに参加してるってことも大きいと思います。
今は二次創作の方で仲良しの友達がたまたま同じジャンルの同じカップリングにはまったから隣接でスペース取ってもらったり、かつては二人サークルをやっていたこともあるものの、基本的には「ひとりぼっちが寄り添っているだけ」という状態で、「ジャンルの掟」「同人の掟」とか「同人活動をする心理」のようなものにものすごく疎い。
なので同人活動を続けながらも同人活動のお約束にさっぱり精通しておらず、たまに掟を大事にする人から苦言を頂戴したり、(わたしにとっては)謎理論で話しかけられたりして首を傾げ、しかし知らないから「知らんがな」の一言で放っておいたりする。

日本の法律とイベントの規約を守っていれば、誰に何を言われようが「知らんがな」で終わっていいと思うんです。
Twitterでちらっと書いたけど*2、プチオンリーを主催した時に「プチのカップリングとは違うものを新刊として出そうとしている!」と訴えられたところで、親イベントの規約にもプチオンリーの規約にも何ひとつ反していないし、じゃあ何で文句が出るかっていうと「訴えてきた人が嫌だと思うから」でしかなくて、まあ人の感情を「でしかない」と蹴るのもどうかなとは思うんだけど、本を出したい人の出したい気持ちだって大事にするべきで、そしたらもう「きまりを破っていない限りは個々の判断で好きなように活動する」という方針以外立てようがない。
きまりを守っているのに、独自にできあがったジャンルの掟とか、個人の思い込みで勝手に作り上げた掟をかざして文句を言ってくる人にあれこれ言われたとして、律儀に取り合う必要って全然ない。
Twitterなんかだと特に、強い口調で「これは一体どういうことなんですか!?」って突然リプを送ってくる人がいるけど、別に相手をしなきゃいけない義理はやっぱりない。
このタイプの人は「リプをしないなんて無礼」とか「後ろ暗いことがあるから無視する」「答えられないからこちらの勝利」みたいに言い出す人が多いけど、犯罪者が裁判にかけられてるわけじゃないんだから、知らない人からの呼びかけに応じなきゃいけない筋合いって本当に全然ないんだよ。
町中で突然知らないおっさんに「なんだおまえ、茶色い頭しやがって! 近頃の若い者の風紀は乱れすぎている!」って怒鳴られたら逃げるじゃん。おじさんなりに本気で日本や若者の未来を愁えていて本気で改善しようとしていたとしても、本気なら本気なほど怖いじゃん。追いかけてこられても嫌だから全力で逃げる。

Twitterで怖い人のリプライを無視したら、スクリーンショットを取られて晒されたりするけど、わたしだったらそんなことをやってる人の方がおかしいなと思う。個人の意見です。個人的に、関わり合いにならんどこって思う。だからどのみち交流する必要がない。
個人レベルでいいんだよ。どうもジャンルの総意とか同人界を守るためにとかやたら大きい話にしたがる人の意見だって、本人がそう言ってるだけで単に個人の見解でしかないんだから。急に怒鳴りつけてくるおじさん(おばさんでも若者でも子供でも何でもいいけど)と変わらないんだから。

中学生の頃、通学の時は革靴か白の運動靴(ロゴなどでワンポイントまで可)以外禁止っていう校則だったんだけど、「三年生になるまではデッキシューズを履いてはいけない」という村の掟があって。
あと、「靴下は白」という校則だったのが、「一年生は三つ折り、二年生は折らなくてもいい、三年生は折れないくらい短い靴下を履いていい」という村の掟もあって、一年生で三つ折りじゃない靴下とデッキシューズを履いていたら名前も知らん先輩たちに呼び出されて泣くまで吊し上げられた。ついでに「上履きのかかとのところに名前を書くのは三年生だけ、二年生までは甲に書かなくてはいけない」という、誰が言い出して誰が守ろうと思ったのか本当に見当もつかない謎の掟も厳しく蔓延っていた。あと一年生はジャージのサイズをL以上にしちゃ駄目、LLは二年生から、三年生になったらLLLLまで着ていいっていう、謎の掟があった。ジャージをだぼだぼにして着るのがはやっていて、大きければ大きいほどかっこよかったんです。時代と土地柄を感じますね!
(今考えると、こういうルールがほんとどこから生まれてどう伝播していったのか、面白くなってくる)

やってることってこのレベルですよ。先輩たちは「今までみんなが守ってきたのになんであんただけデッキシューズ履いてるの?」って真顔で言う。
高校の頃はブーツだった。別に禁じられていないブーツを履いてきた部活の下級生を同級生たちが吊し上げているのを見て、アホかと思った。アホかと思って止めた。結果わたしは同級生にハブられましたが、元々誰ともつるんでなかったので問題なかった。陸上部で個人競技だったし、練習はひとりでやってたし何の支障もなかった。

本当にやってることが学生時代と変わらんな!
というわけで学級会とは本当に言い得て妙だと思う。

今回の議題がいわゆる生ものに関わっていることだから過敏になっているみたいな流れも察したけど、それも村の掟でしかないのではということをちょっと冷静に考えてみるのもいいのでは。
誰かが誰かの行為を駄目だと思うことも止められないけど、じゃあなぜ駄目なのかを理性的に考えることも必要だと思います。そこで改めて駄目だと判断して啓蒙活動することも自由だけど、「駄目だから駄目」「そういうものと決まってるから」レベルの思い込みで学級会おっぱじめるのも中学校の掟を守らせようとする学生並に幼い行動だなと思います。
などと書くと「空気を読まずにジャンルをつぶして平気なのか」みたいな極論がやってくるのが目に見えてるんですが、本当にジャンルつぶれるの?
というところにわたしなどはまず懐疑的になる。大抵の学級会に対して。
「つぶれないと思っているラインで活動している」人と、つぶれることと思い込んだ上で「つぶれていいと思っているのか」と断じる人とで、永遠に意見が噛み合わないので、やっぱりまともにやりとりしようとしても無駄だと思う。
思い込みの掟を盾に噛みついてきた人に対して、誰がどう言葉を尽くしたところで、相手が納得する場面をこれまで一度も見たことがない。
問題提起がなされて理性的に議論する、というのはとても大切なことだと思っています。が、前提が思い込みで「ジャンルのためにも相手の活動を妨害しなくてはならない」という堅い意思を持っている人は、そもそも議論したいんじゃなくて目障りな人を排除したいだけなので、議論しようとすることがまず間違いです。取り合う必要がない。

議論(ではない言いがかり)に応じてから噛み合わないことに疲れて撤退すると、相手が勝利を確信して「正義は我にあり」と思い込み声が大きくなり同じ議題で学級会が繰り返される…という流れが見ていてしんどい。
糾弾されたことに対してきちんと意思表明したいというなら、「あなたはそう思うんですね、しかしわたしはこう思うのでこうします」「あなたはそう思うんですね、しかしイベントの規約はこうなっています」ということだけ答えれば充分義理(義理などあればの話)を果たしてると思う。
暗黙の了解的な掟を大多数の人の意見が作ったということなら、その掟に従わないということは群れからはぐれるということなので、取り合わずに放っておくことで孤立するかも知れないけど、孤立したところで作品を作れなくなるわけでなし。

ひとりぼっち最高ですよ。一人でも同人誌は作れるしイベント参加はできる。
ひとりで好きなことやってると、同じくひとりぼっちでやってる人といつの間にか知り合って、適度な距離でつき合うことができて、楽しいです。
たまにワーッとお祭りみたいなことやりたくなって、プチオンリーとか始めちゃって、自分の知らなかった村の掟をあれこれぶつけられてびっくりしたりもするけど、トータルでは楽しいです。楽しいよ!

でも同人活動=交流って認識の人にはそれも厳しいのかな。わたしは先に創作活動をはじめてから同人界を知ったため、イベントっていうのは自分の書いたものを発表する場という認識だから、いろいろ気にせずいられるのかもしれん。
同人活動を先に知ってから、みんなと一緒に同人誌を作ったり萌え話をしたい! と思って活動を始めた人が周りの意見を気にするのも仕方ないのか。と最近気づいた。こっちのタイプの方が圧倒的に多いということも。
学級会をやってる状態自体が楽しい人もいっぱいいるから、それが嫌な人があれこれ言ったところで意味ないのもわかっている。

「同人活動」の捉え方からして違う人同士の議論がうまくいかないのは当然なんだけど、絡む方も絡まれる方もそこの認識を確認しないまま殴り合っているから不思議にもなる。
同人活動についてみんながどういう認識でいるのかちょっと興味が出てきたよ。

頭でも言いましたが、別に何を啓発したいとかいうわけでもないただの日記です。
しかし何が何でも学級会に参加しないと取り残されてしまうとそれこそ思い込んでる人に対しては、ひとりぼっちの楽しさがあるよってちょっと言いたい。あと、同人活動とは自分にとってなんぞや、と考えて、一番大事なものを決めるとちょっと楽になるよとかも。

*1:いじめを肯定してるわけじゃなくて、この場合、『○○君と××さんの個人的な喧嘩』について第三者がクラスの議題として持ち出した、くらいの状況で考えてね

*2:「前にA×B(仮)プチオンリー主催した時「参加サークルの新刊がA+B(コンビ)でありA×B(カップリング)ではない」ことに対する苦情メールが来たんだけど意味がわからなくて返事困ったのを思い出した 該当サークルさんの既刊にABはあるし一冊でもAB本があれば参加可能なプチだったんだけど」というツイートのこと