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近況報告の歌

買った本とか日常のどうでもいい感じの記録。

until my life is exhausted

ペルソナ3

ペルソナ3

コツコツやってたペルソナ3をやっとクリアしました。こんなにプレイ時間の掛かったゲームも久しぶりだわい。
1月に入ったところでわたしももうすっかり影時間に捕らわれていて、こう、寝てもさめても世界と真田…SEESのみんなのことばかり考えていて、地に足がついて居ない感じでした。
というかエンディングを迎えて、よけいに頭がぐらぐらして落ち着かぬ。二、三日経ってるのにこれです。
何しろ『学園ジュヴナイル』です。もうダメ。ほんとわたしはジュヴナイル世界を愛してる。たまらん。何もかもがたまらんゲームであった。
 
以下、ほんとにものすごいネタバレなので(今さら感もあるが)、未プレイの人はご覧にならないでください。エンディング関連の雑感です。
 
 
 
 
多分物議を醸しているのではと思われる、ラストの主人公についての生死の解釈ですが。
わたしは死んでもいない、生きて普通の高校生活に戻れたわけでもなく、やっぱりニュクスと戦った時に主人公が高次元の存在=宇宙(世界)になって、人としての形を保っていられなくなったんじゃないかな〜と思う。
最後の最後でペルソナが呼び出せなくなっていたのに、スキルを使うことができたとこで、ああ、主人公は自分がペルソナと同等かそれ以上の力を持ってしまったんだなと。
デスを孕んだニュクスをさらに孕んだ主人公が宇宙を造り出し希望のある世界を生み出したことによって主人公は形而上の存在となってしまった。
 
イゴールが言う、「あなたはその運命を受け入れなくてはならない」っていう台詞はそのことかなとか。
愚者→宇宙への体現を行ってしまって、死と生が等価値であること(カヲルくん!)を示してしまったのだろうねとか。
最後に綾時が言った「彼にはそれが早く来ただけ(うろ)」みたいな台詞もそこに集結するのかなとか。
何でこんなにしつこく…と思った保体の授業とか、アルカナシフトとか、その辺りも明示的になっている気がする。この一年は愚者→ワールドへの道のりだったのか。
あとはラストの方の占い師の台詞も、そんな感じのことを結構はっきり言っていた気がする。あなたの中にはすべてが宿っていて、何にでもなれるしどこにでもいける、あなたの中に宇宙があってあなたと宇宙は同じものである、だったか?(うろ)
 
で、主人公にノートを渡すために姿を保っていた神木みたいに、主人公は「卒業式の日に会う」約束を果たすまでは何とか人の姿を保っていて、アイギスはそのことに(何となく?)気づいていたのかな〜。
主人公は死んでしまうわけではないから悲しがる必要はないのに、人としての主人公に愛情を感じていたからその形を失うのがアイギスには悲しい、悲しいけど主人公が守った、主人公と同一になった世界を守るために生きることを嬉しく思う、いろんな気持ちのせいで涙が止まらない。
主人公を守る=生きる
ということで、「誰にでもできることだけど」という意味なのかなという推察。
何でアイギスだったのかについては、アイギスが人間ではない、人間と同じ生を持っているわけではない機械だったからだと思っています。
終わりのない存在になった主人公のそばにいるのが終わりのない命を持ったアイギスだった、という。あと恋愛感情の入る余地のない、愛情で繋がれたふたり的な。アイギスとはコミュが発生しなかったのはここへの伏線だったんだな〜と。
 
     ◇◇◇
 
「ジュヴナイル」と銘打たれた作品であるという前提の元に考えると、これが一番腑に落ちる感じ。ダイレクトにそういう世代に向けた物語の終わり方として。
これをおとなが遊んで、おとながおとなの理屈で文句をつけるのはいけないなと思う。
テーマとしても物語としても、昔から何度も問われ何度も語られて来た物語であり展開であるけれども、わたしにとっては、すごく満足のいく、よくできたゲームでした。
 
ホントはもう、ある程度テーマに対する答えは、自分の中で持ってるんだけどさ。根が思春期なので楽しんでしまいました。
 
ジュヴナイルではないハッピーエンドだったら、全員記憶喪失になったけど、新しい世界で一から新しい絆を結ぶっていうパターンもありえたのかも。
自分が考える理想のラストだと、
ニュクス戦の後に主人公が帰って来ずに、みんなも彼のことを忘れてしまうが、約束の日にその存在を思い出し、人々の願いと希望により再び人間としての姿を持った彼が帰ってくる。
になるなあ。
 
思春期とかジュヴナイルを軽く中二病の意味で使っていてすみません。
タカヤの台詞あたり、もうものすごい中二病っぷりでびっくりして、あれが作り手側がどういう意図で組み込んだのかと思うと…チドリのロリータファッション+リストカットとか。
「世界なんて終わっちゃうんだから今だけ楽しければいいぜ」って素面で言えるのはティーンの特権だと思う…そしてそれに真っ向から反論できちゃうのも。
 
解釈は自由だと思うので、主人公は普通に生きてるラストも考えてて、そっちの方が嬉しいし、ユーザーが自由に選べるのならわたしは生きてるラストを選びたいと思うんですが、どうも消えちゃうラストの方がしっくりくるので切ない。
最後の、アイギスが寮に迎えに来たとこから後の選択肢って本当はいらないと思うんだけど(システム的には。あの選択肢でイベントが変わるわけではないみたいなので)、ユーザーが各自選ぶことでラストの意味をどう解釈してるかで変わってる気がして、で、自分が自然と選んだ方を鑑みるに、心の中では「主人公はもういない」で納得してるんだなーと…。
 
この文章を聞きながらサントラを聴いているんですが、「キミの記憶」が流れるたびにぶわーっと涙が出て止まらないの。文章でまとめるまでもなく、気持ちはそういうことで理解してるからこうなっちゃうんだろうなあ。
 
このゲーム、あまりに世界と自分が近すぎて、ホントに寝ても覚めてもみんなのことを考えていたから、finマークがついた時に辛くて、もうタルタロスに行かないでいいんだと思うと呆然としてしまう感じで、何か困ります。
困った挙句二週目を始めてみたんですが、何かヘンな感慨があって、やっぱり呆然とししまう。
 
それにしても、ウイングマンとか、MOTHER2とか、あまたある「みんなの力で主人公に元気玉を」展開に本当に弱くて、ラストはひたすら泣きっぱなしだった自分がチョロいなと思います。
ジュブナイルを愛する身としては、このゲームはものすごいいろいろ抉られたー…。
ホントは年齢って関係ないよね、魂の問題だよね。
これ、普通に会社勤めしてまともに社会に関わってるおとながやるより、今まさに思春期ど真ん中の人とか、おとなになれずにいつまでも思春期を引きずっているダメな人がやった方がはまり込める気がします。
このゲームが泣くほどおもしろかった人は、ノーライフキングを読むといいよ(もう読んでるかな)。テキストを捨て去り巨人に挑む僕たちへ……ってあれ? これはライフレッスンだった。
まったくこのゲームがおもしろくて好きですとは言い難いゲームだよ。
 
     ◇◇◇
 
↑ここまでクリア当日に書いた文章。
もうちょっと落ち着いたので(そして落ち着いたつもりなのに相変わらずあの世界のことばっかり考えているので)、生きてるバージョンについても考えてみた。
 
     ◇◇◇
 
ニュクス戦で手に入れた力は一時的なもので、戦いが終わった後はものっすごい疲れてて、三月までずっと疲れていた。
もしくは、主人公も影時間の記憶が消えていたけれど、段々思い出してきたことによって「あっ、俺疲れてんじゃん」ってことも思い出してラスト二日間の夜になる。
で、卒業式も疲れて出られそうもないから寮でぐだぐだしていたら、誰の目もないことを幸いアイギスが部屋にやってきて主人公が完全に記憶を取り戻す。
そんで疲れてるので甘えて膝枕。アイギスは平穏な日常が戻ったこと、主人公と一緒にいられる幸福のために泣いてしまう。
 
あとここで式部さんの指摘でちょっとそうかもと思った、「涙を拭う仕種は綾時のものだったのでは」ということ。
あの時アイギスと話していたのは綾時で、目を閉じた後に完全に主人公と決別し、宇宙で眠りに就く。
目を覚ました時には主人公の意識が戻っていて、仲間と再会。
アイギスは綾時と二度と会えない悲しさと、主人公を取り戻した嬉しさで泣いてしまう。
 
エンディングの曲は、アイギスと主人公のふたりで綾時のことを思った内容だと。
『今はただ翼をたたんでゆっくり眠りなさい』翼なら綾時のことで納得だし。
 
これでもいいなあ。というかこれの方が倖せでいいなあ。
 
     ◇◇◇
 
でも保体の授業・ニュクス-アバターのアルカナシフトの時の台詞・イゴールの台詞・綾時の台詞なんかを併せて考えると、やっぱりどっちにしろ『主人公が自分の生死を使ってニュクスを封じている』ことになる気がして、さらに占い師の言葉で『主人公は何でもできる存在になった』ことは間違いない気がする。
そうすっと、今までの形や人との関係を保つことは可能ってことにもなるとは思うんですが、俺理屈でいうと『何でもできる』ことは『何にもできない』と同等なので、やっぱり今までのままではいられないことになるなあ。
荒垣を生き返らせたり、みんなの家族や大事な人を生き返らせたりも可能になってしまうけど、それは望んではいけないことだろうし。ひとりの人間としての望みを叶えることは、世界は(神さまは)してはいけない、だから主人公の個人的な望みは叶えられない、叶えないためにやっぱり意志は手放しているんじゃないだろうか。
そんでも、どこかで(形而上的なものでもいいから)、綾時と世界を眺めながら楽しく暮らしていればいいなーと願う…。
 
     ◇◇◇
 
そして二週目をやっていて(やってんのかよ)ふと思った、「この世界は主人公のインナーワールド(記憶?)」ではないか。
一週目は実際に起こったこと、二週目以降はニュクスを呑み込んで世界そのものになった主人公の中で繰り返される同じ時間なのかも、とか。
ニュクスを封じた時点で新しい世界が生まれて、その終結まで何度も同じ時間を繰り返している、その記憶が主人公にあるから、彼がやたら達観した様子である…っていうのもありえる? ありえない?
ゲーム中、主人公のどこか達観した、外からものを見ているような感じ、あれは主人公が一度宇宙を観てしまったからじゃないかと。
まあわたし(プレイヤー)がエンディングを観たせいなんだと思うんですけど。
あとガンパレやったせいかも。
 
全然関係ありませんが、ガンパレをぐるぐるやり込んだせいで、女子に話しかける時に「別の女に会っていたことがバレたら刺される…!」とか、「こいつに話しかける時に邪魔が入りませんように!」とかいらんことを祈る癖が。
 
おいといて、ループしてる説は、単にわたしが一週目を引きずったまま二週目に入ったせいだというオチだと思います。

     ◇◇◇
 
その他、これはネタバレ解禁になったので(自分の中で)あちこちの感想を見て回った中で、一番納得したラストの説明。
「三股四股かけていたことがばれて主人公を刺しに来た女子生徒から「あなたを守る」とアイギスが言っていて、主人公はゆかりたちの足音を聞いて死んだふりをした」
これだ。
アイギスは幼い頃から知っている主人公がそんなろくでなしになってしまったことを嘆いて泣いてしまった。そしてエンディング曲の「純粋だった頃のあなたと過ごせた時間がかけがえのない時と気づかなかった」「でもそんなあなたを取り戻す」という歌詞に繋がるわけです。
 
疲れていたのは、一月以降も女の子たちと毎日会っていろいろやっていたから。で、卒業式直前にそれがばれて彼女らに追いかけ回され責められ続けていたから。
あ、これでいいや!
 
     ◇◇◇
 
いろいろいつきつめて考えて行くと、生きてるエンド以外ではそのうち(続編とかで)主人公とか綾時とかアイギスが敵キャラになりそうで怖い。んなこたねーか。
 
     ◇◇◇
 
うーん考え出すと本当に止まらない。何にせよやった人ごとにラストの形が違っていていいゲームだろうから、わたしはこういう感じでしたということで。
他の人がどう考えたのかも聞いてみたいなあ。
 
それにしても、道歩いててもPERSONAのこと考えて涙ぐむ自分がキモイなあ。